国産ビデオゲームの源流を求めて

cvs-odyssey2007-08-29


管理人には
「日本人も世界に先駆けて家庭用テレビゲームを開発していた。ただ知られていないだけである」
という全く根拠のない持論がありまして、
折を見ては古書を探っておりますが今のところそんな気配すらありません(^^; 

そこでコンシューマーでは無理っぽいということで、ビデオゲーム全体まで範囲を広げていると、
おなじみ大阪万博(1970年3月)における古河グループによる「電車の運転ゲーム」が最古の国産ビデオゲームとして行き着くわけです。

※もっとも電子オブジェクト式でない”映像型”ならばKASCOのインディ500があるのですが・・・。

一方、その同時期、エキスポランドで稼動していた「ストリップゲーム」なるアーケード機の目撃情報もあり、
こいつは実に説得力もともなっているということで(^^
発掘の興味は尽きません。


しかし、ブラウン管はよほど撮影しにくかったのか、とにかく画像が見つからない。
ほぼ皆無。いや、実は筐体すら出てこない。


ナム・ジュン・パイクがブラウン管でアートしていたようにそういうアプローチからもないのかな?とか思うんですけどね。
やはり昔の日本人は生真面目すぎたのか。
ディスプレイ(テレビ)を遊びに使う発想はなかったのか。


と、
つい先日、不思議な資料を発見してしまいました。
ビクターのビデオゲーム、いや、かの「プレイトロン」にあらず!!
さ、さらに・・・???
いや、まさかねえ。
まさか、
まさか・・・

とにかく今度時間をつくって、図書館にでも行って調べてきます。


どういうコーナーで発表するかだなあ。
テレビゲームの歴史・・・のプレ紀、本編は家庭用機を重点にして、特別コーナーでアーケードも含める、と。
うん、そんな感じだな。