1979年のアドオン5000

cvs-odyssey2008-03-26

以後、当時書かれた記事をなぞってみても、
少なくとも私が見た範囲でアドオン5000に関して
明るい話題もありませんでした。
そう、1978年前後の時点では。


エポック社のテレビ野球ゲームにしても
任天堂のレーシング112にしても
しっかり日本のニーズに適応して進化している。
いまだボールゲームを引きずるアドオン5000は
そのカートリッジスロットの可能性はともかく、
ソフトとしての可能性がまるで見えませんでした。
レトロ感覚バリバリに、ボールゲームがバリバリフィーチャーされていた
あのパッケージを見て未来を感じる人は
多分少なかったことでしょう。
(例によって、私は大好きでしたが)



しかし、1979年、
日本にインベーダーゲームの社会的ブームが突如として起こる。
当然期待されたのが、家庭用版インベーダーゲーム
玩具ショーでは、家庭用インベーダーゲームを出すのはどこかと
ざわめきたちました(と、トイジャーナルに書いてあるんですわん)


そこで当時のバンダイが借り出したのは
手持ちのLSIゲーム機とアドオン5000。
LSIゲームはインベーダーゲームに改良され、
(と、以前バンダイの社員さんにうかがいました)
アドオン5000は発売予定として、インベーダーカセットが発表されたわけです。


命運尽きてもおかしくないアドオンの運命は一変しました。
おそらく後期版の青いアドオン5000は
ここで生まれたのではないかと想像します。


しかし、販促物まで作られた期待のインベーダーカセットは
販促物までつくられたものの、
結局、この世に出ることはありませんでした。


ということで、顛末はODY207でまとめようと思いますので
お待ちください。


最後に画像を1点。
当時カタログなど載っていたプロトタイプ・アドオン5000がこれ。
カートリッジには「DogRacing」と書かれています。


あ、そうそう、黒バラのクラゲー特集すごかったね!(^^