その時、千代の富士はビデオゲームで遊んでいた

2010年夏、ワールドカップの裏側で日本中を揺らしている力士の賭博問題。

私は相撲というと、寺尾のドスコイ大相撲か、ビジコンの角力くらいしか詳しくないんですけど、そもそも関取という職業は、巡業や本場所以外は暇なのだそうです。
朝の3時間の練習が終わると、午後からは基本的にフリーなんだとか。

だからといって、彼らはパチンコにも競馬も多分風俗にもいけない。
さらに有名な力士ともなると、普通に街を歩くこともできない。
相当ストレスがたまる格闘技なのに、巨体にたまりまくっているエネルギーをなかなか発散する機会がないのでしょうね。

だから、野球賭博角界の構造的なものといわれるのはよくわかるんです。
賭博なんて大昔から存在する伝統的な娯楽だし、かつ外へ出なくてもよいのだしね。


でも、私はこの事件を聞いたとき、まっさきにある記事を思い出しました。
ODYSSEYのアーカイブスをめくってみると、週刊朝日の1983年5月27日号に、ケガで夏場所を休場していた千代の富士のグラビアが載っています。

謹慎中の千代の富士は、浅草の喫茶店内の隅っこでTVゲーム(アーケードゲームのこと)を遊んでいたというのです。

「俺は賭博はやらないから」とウルフが言ったかは知りませんが、そもそも日本のアミューズメント業界は、賭博ではない健全な娯楽産業を目指して、心ある人たちが努力し成長してきた業界でしたっけ。
ルーレットにしても競馬ゲームにしても、賭けは賭けだが、いわゆる金銭のやりとりはしない、世界でも珍しいコインゲームという独自のジャンルを築き上げてきたのです。当時のAM業界記事を読むと、そういう業界全体の努力が非常に見て取れるわけです。


最終目的が金ではなく、おもしろかったなという体験を商品にしようという潮流。ビデオゲームの出現は、そんな業界の願いにピッタリとあてはまるような、あたらし娯楽の形態でした。
インベーダーブームの頃、非行の温床だとかPTAにずいぶん叩かれたりもしましたが、射幸心ではなく純粋に得点を競うという内容には誰も文句をつけられなかったはずです。

管理社会化した時代に潤いを与えたビデオゲームという存在は、サラリーマンのストレスや受験戦争の子供だけでなく、横綱のありあまるエネルギーも発散させる役割を担っていたわけですね。


しかも上の記事によると、喫茶店では、子供もいっしょに千代の富士とゲームをプレイしていたという。先代九重親方もいっしょになってつきあった日もあったのだとか。ビデオゲームファンとしては、ちょっと笑顔がこぼれてしまいます。


ところで、千代の富士ビデオゲームって、何プレイしていたんだろうね?
茶店テーブルゲームで1983年だから、ゼビウスかな? マッピー?
子供といっしょだというから、ハイパーオリンピック?
花札だったら笑うなあ。

チャンピオンベースボール?? いやいや、そっちは健全ですから(^^