艶やかなナデシコ

先日より、すおえきレゲ娘!というwebをスタートしています。
http://gamegirl.from.tv/

クラゲー機を萌え擬人化したコミカル系サイトでして、なぜまた唐突に?といぶかれる諸兄もおられるかもしれませんが、それは追々に。


今回、娘の絵とデザインをイラストレーターのBOM氏が担当されています。
http://x09.pya.jp/ss/index.html


ゲーム機の萌え擬人化というのは、すでに世の中に星の数ほど存在し、私自身も手がけたことがありますが、詳しければ詳しいほど、設定側によってせせこましくなってしまう嫌いがあります。

例えば、私がつくったテレビテニス子なんてマッハバロンみたいな頭になってしまったですが、
氏のデザインはマニアックさから自由な分、生き生きした女の子像が立っているのがわかります。
髪止めの位置にコントロールダイヤルがある、
首輪に垂直同期調整ボリュームがある。

ファミコ(ファミコンの擬人化娘)の横の大胆さも驚かされます。
設定ベースの作家さんにはこの味はまず生まれないでしょう。


そして何よりも色が艶(あで)やかさに満ちています。
自然画とか見せてもらいましたがとっても素晴らしい。
色彩コントロールがうまい作家さんなんですね。



基本おまかせでOK。で、私がやることがなくなってしまったので、逆に、BOM氏のイメージを、私がマニアックに持っていくというくだらないことをやっており、
例えば、ふぁみ子の場合なども、京都のゲーム機だから巫女さんというノーマルな発想を、私が、魑魅魍魎を退治するミッションを受けた、と、(魑魅魍魎=ファミコン互換機の基盤キットですよね)空想科学読本のような重箱の隅をしっかりガードする方向に持っていったりしているわけです。

ベビーパックマン的なもの

先日、所要で図書館に出かける機会があったので、ついでに久々に資料採掘に勤しんでみた。
すると、1979年の朝日新聞で、たまたま、欽ちゃん劇場「とり舵いっぱ〜い!」という番組広告に出くわしたのである。

おお、覚えてるよ。懐かしい!!
日本テレビの番組なのに、しっかり朝日に広告出してたんだね。


「とり舵いっぱ〜い!!」を懐かしめる人は、おそらく当時リアルタイムで観ていた人に限られるはずだ。実はこの番組、DVD/ビデオはおろか、Wikipediaにも詳細がのっていないのである。
日テレのゴールデンタイムでやっていたから、別にマイナー番組ではない。
コントはアーカイブ化しにくいのか。いや、コントというか・・・


「とり舵いっぱ〜い!!」は、コメディアンの欽ちゃんがドラマを作るとどうなるか?という挑戦的かつ実験的な番組である。それだけに、類するコンテンツがちょっと思い浮かばないほど構成が独創的で、説明しようとするとこれがなかなか難しい。でも、ちょっとやってみようか。


まず番組のアウトラインは、正統的ホームドラマである。
浜木綿子が演じるところの未亡人が主人公で、ストーリーは、海で亡くなった主人=船長の萩本欽一に関する思い出や、主人に関係することで起こる日常の風景を描いていく。息子役の井上純一、長谷直美のほか、岩崎良美おひょいさんといったところが脇を固める中、欽ちゃんは故人であるが故に、基本的に回想シーンしか出番がまわってこない。というか出てくるわけにはいかない。


さて、ここからが番組の独創的な部分である。


ドラマとドラマの間に、例えば井上純一が朝、家から学校へ登校する場面があるとしよう。すると場面がガラリと変わり、ところはいきなり舞台の上へとワープするのだ。
舞台の上だから、空気感は8時だよ全員集合あたりを思い出してもらえればよい。もちろんお客さんも入っている。


ここで欽ちゃんは、朝、町内を掃除する近所のオヤジだったり、通学途中にいあわせるサラリーマンだったり、ドラマ本編とはまったく異なる役で登場し、井上純一とシチュエーションコントを披露する。もちろん、お客さんの笑い声も響く。ここから観ればもろコント番組だ。
この5分程度のコントが終了するとCMに続く。そして明けると再びドラマ本編へと戻っているというわけ。舞台コント場面は1話につき3度ほど挿入されており、本編と交代しながらひとつの世界をつむいでいくというわけだ。

欽ちゃんは、毎週オープニングで、視聴者に今週の見所を語るガイド役もしている。今週の筋立てを前フリした後、船長らしく「とり舵いっぱーい」とビット(船のロープを括り付けておく石のようなでっぱり)の上に片足をのせてポーズを決めるというのがお約束なのだが、だんだん、なぜか空中を飛んできたビットをキャッチして、足の下にかっちり固定した後「とり舵いっぱーい」とポーズを決めるなど、お約束を破るコントが楽しかった。


当時チビッコだった私は、当然コントに注視していたと思いきや、どうしてどうして、刷り込まれているのは意外にも本編の方だったりする。まだ新婚だった浜木綿子の回想で、夫が妻に「いいですか、これが僕からの初めての命令です」と、おかずの味付けに物申すシーンなど、未だに脳裏に焼きついているなあ(小学生なのに)。



とまあ、字数にすると結構なスペースを要する「とり舵」を、短く簡単に表現する方法はないかしら、と新聞をながめながら考えていたのだ。

脱ドラマってわけでもない。ハイブリットってのも違うだろうし。
うーん、
本筋から離れて別面が展開し、また何事もなく戻ってゆく・・・


かなり前置きが長かったが、去る10月初頭、千代田区3331のパックマン展に出向いた方ならピンときていたことだろう。でもない?。まあ、表題でわかるよね。
そう、「取り舵いっぱーい!」は、実にベビーパックマン的、なのだ。



ベビーパックマン(Baby PAC-MAN)は、ひとつの筐体にビデオゲームピンボールが入っているという、全パックマンシリーズの中でも(全ビデオゲームの中でも)異色中の異色作だ。確か日本未発売であり、パックマン展の会期中、ゲーマーの中でもっとも話題にのぼったゲーム機である。


プレイヤーは、まずビデオゲームパックマンのプレイを開始する。ただし、このパックマンにはパワーエサがない。反撃ができず、しかも袋小路や直線長通路も散見しているから、このままではクリアは相当難しい。ところが、無造作にワープトンネルをくぐってみると、プレイヤーは筐体下部にあるピンボールゲームで得点を稼ぐことになる(文字通りワープしてしまうのだ)。
ここで規定数のターゲットにボールを当ててポイントを稼いでおくと、ミス時にビデオゲーム画面に戻った時、パワーエサやワープトンネルといったご褒美が出現し、ゲームがグンと有利になるという仕組みなのであった。


JoJoにしろ平成仮面ライダーにしろ、ここ最近のエンターテインメントでは、平行世界への行き来がよくテーマになっているが、ベビーパックマンや取り舵いっぱーい!の場合は、まったく異なる別のメディアが、直列(シーケンシャル)でつながれ、一本のコンテンツが紡ぎだされている様がおもしろい。

これは、カービイの毛糸化とは無関係だろうが(^^、どんな言い訳でもできてしまう並行世界よりは非常にタイトでスリリングである。何よりも初見者に敷居が低いというのはポイントではないだろうか。おもしろいと思った方からスっと入ればいいのだからね。


パックマン展のプロデューサーであるサイトウ氏は、このシステムは今でもいけるよねと評されていた。そういえば、この夏大ヒットした映画「インセプション」の設定は、夢と現実のリアルタイム交差ではなかったか? ベビーパックマンや「とり舵いっぱい〜!」の立体感は、それすら軽々と超越しているように思う。時代は一本芯の通ったクロスステッチ感覚を求めている。

パックマン展はマニアだけのものではない

パックマンを開発した岩谷徹氏によると、
パックマンは女性やカップルに向けたやさしいゲームがコンセプトだったという。
汚い、暗いというイメージがこびりついていたゲームセンターを
遊びの場として成長させられるようにしたい。
食べるイメージは、女性のそれを源泉とするのはご存知の通りで、
だからこそコンソールも迷わないようレバー1本にしたのだと言う。

はたしてパックマンロケテストから女の子がキャーキャー声を上げ、
デビュー後は高得点を目指すマニアはもちろん、
子供、カップル、女性同士と、幅広いプレイヤーを集めた。
日本以上にヒットしたアメリカでは、TVアニメーションになり
誰が言ったか、80年代のミッキーマウスと、最大級の賛辞まで受けた。


同じ空の下、その頃私は小学生。
会社帰りのサラリーマンが2人、筐体の前でダンスを踊っていた場面は
未だ忘れようにも忘れられない衝撃なシーンだった。
(コーヒーブレイクではっちゃけていたわけ)


だから、私は今回の企画をプロデューサーにうかがった時に
必ずゲームマニア意外にも響くイベントにしてほしいとお願いした。
パックマンの素晴らしさは、ビデオゲームの楽しさを一般人まで届かせた部分にこそあるのだから、と。

そしてその後、打ち出されたコンセプトを聞いて喜んだ。
ゲーム×カルチャー
である。
納得!
パックマンは、こうでなくちゃ。


開催前夜である現在、
ネット上におけるパックマン展の話題は、
文字通り世界中から集結したレア筐体に注がれている。
岩谷氏を含めた関係者トークショーも話題だ。
イベントに来場する層の中心はゲームファンが中心だからそれは当然だろう。


だけど、私は思う。
パックマンを知らない友人や彼女、子供や親戚と連れ立ったとき
彼らの心に残るのは、ゲームブースの方ではなく、
案外、アートブースの作品の方ではないかと。
有名アーチスト達がいかにパックマンに心揺さぶられたかがうかがえる数々の作品、
そして、山のようなグッズ、レコード、テレビアニメ・・・
スーパーマリオ以前にもこんなすごいゲームが日本にあったんだ!と
目を皿のようにして見いってしまうんじゃないだろうか。
パックマン展の醍醐味は、そのような空気をゲームマニアと一般人が共感するところにあるんじゃないかと思うのだ。


そんな私は、今回、ワークショップでパックマン時計ステッチを編みこむことを
最大の楽しみに会場に向かう。
粋なイベントをやってくれるじゃないか。
いくつのどんな素敵な笑顔が待っていることだろう。

http://pacman.com/ja/

パックマン×アート=マンガ

パックマン展のリリースが出ましたね。
会期は10/2〜10/11。ファミコン展などと比べると恐ろしく短い・・。
データ満載の図録なんてすぐ買えなくなりますよ。くれぐれもご注意を!


そんなわけで、うちのODY201の本日の催し(新着情報)でも、いつものODYキャラクターがそれぞれのキャラでパックマン展への勝手な要望を展開しています。
これらは私個人の意見ではなく、キャラにあわせてほとんど自動書記状態でキーボードをたたいているのですが、その中でパラディ山戸のおじさん(頭に波動砲をのせているラテンムードな男)がおもしろいことを言っています。

「私はアート部門に興味があるっしゅ。パックマンゲームセンターあらしは切り離せない関係でしょ? 日本を代表するマンガ文化をパックマンを通して存分に堪能するっしゅ!!(パラディ山戸) 」


いいこと言いますよね。(^^;?
パックマン×アートととらえると、なにやら堅苦しい感じがしますが、ゲームセンターあらしパックマンの関係でマンガ文化を考えると興味がムクムクと湧いてきます。
日本の誇る少年ジャンプが生みだした、ライバルとの必殺技対決マンガ。
ドラゴンボールをはじめ世界中に熱狂的ファンをつくった作劇技法。
それが小学生学年雑誌で花開いたのが、ゲームセンターあらしでしたっけ。
そんなアート、おそらく世界中探したって日本しかありませんもん。


すがや先生のパックマンアート作品はこちら。
http://c1292892.cdn.cloudfiles.rackspacecloud.com/ja/art/images/002/main_image.jpg

かっくいー!デケー!!



もっとも、あらしがパックマンで編み出したのは真空ハリケーン撃ちで、真空の渦でレバーを高速に動かすという技。
高速連射のムーンサルトや、マイコンを狂わすエレクトリックサンダーと違い、初の、力で押し切る技だったと記憶します。
パックマンとの関連を問われるとちょっと苦しいものがあるのはさもなむ。
その直前、パワーエサを同時に4つ食って連続1600点を取ったエレクトリックサンダーや、パックマンが増殖する山嵐電撃吹雪拳は文武両道でいかしてたんだけどなあ。


そうそう、地獄でパックマンやった時は、この絵のようにパックマンに出っ歯が生えたんだよね。

買わなかった理由ってなんですか?(2)

前回のコメントアンサーとなる日米テレビ受像機の普及率のグラフをご紹介しましょう。

こちらは某氏が研究用に作られたものなのですが、基本的に名前は出さないで欲しいということと研究用に使うならどんどん使いなよ、とのことで今回私がリライトしたものを載せました。
ちなみに原本は2004年頃の製作。米国テレビに白黒とカラーの違いがありませんが、これは元にした海外のグラフがそういうものだったからなのだとか。


この表は日米家庭用テレビゲーム機の誕生についての議論によく使われています。
というのも、アメリカでテレビゲームが発明された理由として、アメリカでのテレビの普及率がその理由なのでは?と指摘する声がよくあがるわけなのですが、そんな時に駆り出されてくるのがこの表というわけです。
グラフを見ると世界初の据え置き型試作機BROWNBOXが発案される'66年9月1日において、日米の受像機の普及率にはほとんど差がなかったことがわかります。


そうすると、今度は日本でテレビゲーム(ここでは家庭用据え置き型のこと)が発明されなかったのはなんでや?ということになるのですが、その話は本題とずれるのでまたの機会に。
ただその話題もめちゃくちゃ楽しいんですよね。最新の結論ではやはり根底にある企業マインドの差のようだってとこに落ち着いていますけど、いずれそういう面白いクラトークを爆発させる場をもうけようと心に決めています。



そんなわけで本題に戻りますと、テレビの普及率がボールゲームの売り上げに影響したかどうかというのは・・・、うーむ、この表だけではだめなようです。
お古になってお茶の間を追われた古いテレビがどれだけ子ども部屋に移ったか、つまりテレビが家庭に何台あるかというグラフを引っ張ってくる必要があるようです。
さて、どこを調べましょう?


この表もながめていると、時代時代のいろいろな出来事がつながって来ておもしろいですね。皇太子御成婚にグラフが伸びるのはお約束ですが、ポンテニス(ボールゲーム)ブームの頃にはもうほぼ100%の普及率なんだなあ。末尾が1983年(ファミコン発売)になっているのもユニークだし。

買わなかった理由ってなんですか?

ビデオゲーム関連の飲み会で、私より年配の方を見かけると、決まって尋ねている質問があります。
「すいません、ファミコンの前にどんなテレビゲームを買いました?」


なぜ、こんなことを聞いてまわるのか?
ボールゲーム以降、1983年のファミコンの登場まで、家庭用据え置き型ゲーム機はあまり売れませんでした。
正確な数はわかりませんが、経済新聞や業界誌によると、ボールゲーム直後(78年)の任天堂ブロック崩しエポック社のテレビ野球ゲーム〜テレビベーダーが各々2〜30万台。'82年頃のぴゅう太、ゲームパソコンあたりで、十数万台規模の出荷だと推定されます。


で、ファミコンが何千万台でしたっけ?
売れたものって記事になるんですけど、売れないものは基本的には記事にならないんですよね。
じゃあ取材だってんで、いろんなおもちゃ屋さんに聞いてまわったんですけれど、これも皆さんほぼ「記憶にない」の一点張り。だからゲーム関係者の酒の席で地道にフィールドワーク?を続けているんですよね。
大変ですわん。


通説として世間で広く語られているのは、おもしろさが足りなかった、価格が高すぎた、という2説。


でもねえ。本当に内容の弱さだけが理由なのかなあ?って疑問がどうしても残るんです。だって自分には萌に萌え・・・、ちがった、燃えに燃えましたからね。当時。


それに内容がおもしろくないというのなら、アタリ版スペースインベーダーは、アメリカではその内容で大ヒットしていますし、「俺は兄弟でお年玉をはたいてVCS買ったぜ」という職場の先輩の苦労話も聞かせてもらいました。


一方価格問題。確かにそれが大きな割合を占めているというのも間違いないのでしょうが、一方でたとえばODYSSEY2やインテレビジョンが半額に値下げされても、やはり売れゆきは芳しくなかったんですよね。もちろん、ファミコン登場前の時点でもです。


で、そんな時は私の体験を話すのですが、たとえばその理由のひとつは親方(おやがた)の贅沢禁止令ではなかったか、と。


テレビゲームが高級電化製品であったことはさておき、あれをテレビの前に並べると、でかいのでどうしても目につくじゃないですか。「もう既に持ってるじゃない!あんな高価なもの何台も買っちゃだめ!」、とでかい声で叱られたという話です。
この場合、値段が下がろうがあまり関係ない。もしあの時代に中古ショップがあったとしてもやはり許可は得られなかったのでは?そんな仮説を唱えたりしています。
逆にハンディ電子ゲームは何台持っているかわからないので、結構子供は買ってもらえた→ブームにつながったのかな、と思うんですよ。あ、ということは、「本体バカデッカかった説」とも言いなおせるかもしれませんね(^^;


いずれにせよ、単一の理由だけでなく、様々な理由が複合しているのはまちがいありません。
ですので、とにかくいろんな体験を貯めてまわることが重要だったりするんです。


ところが、まあ酒の肴になりにくいんだなあ、このテーマ・・・。
知らない人は知らないし、知っている人は考え込んじゃう。
いずれにせよ空洞化現象。
とほほ。


私だって、ファミコンBARでうまい酒のひとつも飲んでみたいものです。

その時、千代の富士はビデオゲームで遊んでいた

2010年夏、ワールドカップの裏側で日本中を揺らしている力士の賭博問題。

私は相撲というと、寺尾のドスコイ大相撲か、ビジコンの角力くらいしか詳しくないんですけど、そもそも関取という職業は、巡業や本場所以外は暇なのだそうです。
朝の3時間の練習が終わると、午後からは基本的にフリーなんだとか。

だからといって、彼らはパチンコにも競馬も多分風俗にもいけない。
さらに有名な力士ともなると、普通に街を歩くこともできない。
相当ストレスがたまる格闘技なのに、巨体にたまりまくっているエネルギーをなかなか発散する機会がないのでしょうね。

だから、野球賭博角界の構造的なものといわれるのはよくわかるんです。
賭博なんて大昔から存在する伝統的な娯楽だし、かつ外へ出なくてもよいのだしね。


でも、私はこの事件を聞いたとき、まっさきにある記事を思い出しました。
ODYSSEYのアーカイブスをめくってみると、週刊朝日の1983年5月27日号に、ケガで夏場所を休場していた千代の富士のグラビアが載っています。

謹慎中の千代の富士は、浅草の喫茶店内の隅っこでTVゲーム(アーケードゲームのこと)を遊んでいたというのです。

「俺は賭博はやらないから」とウルフが言ったかは知りませんが、そもそも日本のアミューズメント業界は、賭博ではない健全な娯楽産業を目指して、心ある人たちが努力し成長してきた業界でしたっけ。
ルーレットにしても競馬ゲームにしても、賭けは賭けだが、いわゆる金銭のやりとりはしない、世界でも珍しいコインゲームという独自のジャンルを築き上げてきたのです。当時のAM業界記事を読むと、そういう業界全体の努力が非常に見て取れるわけです。


最終目的が金ではなく、おもしろかったなという体験を商品にしようという潮流。ビデオゲームの出現は、そんな業界の願いにピッタリとあてはまるような、あたらし娯楽の形態でした。
インベーダーブームの頃、非行の温床だとかPTAにずいぶん叩かれたりもしましたが、射幸心ではなく純粋に得点を競うという内容には誰も文句をつけられなかったはずです。

管理社会化した時代に潤いを与えたビデオゲームという存在は、サラリーマンのストレスや受験戦争の子供だけでなく、横綱のありあまるエネルギーも発散させる役割を担っていたわけですね。


しかも上の記事によると、喫茶店では、子供もいっしょに千代の富士とゲームをプレイしていたという。先代九重親方もいっしょになってつきあった日もあったのだとか。ビデオゲームファンとしては、ちょっと笑顔がこぼれてしまいます。


ところで、千代の富士ビデオゲームって、何プレイしていたんだろうね?
茶店テーブルゲームで1983年だから、ゼビウスかな? マッピー?
子供といっしょだというから、ハイパーオリンピック?
花札だったら笑うなあ。

チャンピオンベースボール?? いやいや、そっちは健全ですから(^^